The Law in Letters: The Legal Imagination of Medieval Japanese Literature

    Medieval Japanese society, as Jeffrey Mass notes, “was lawless yet litigious, restive and yet still respectful of higher authority.” The adversarial trial, the impassioned claims of plaintiffs, the paternalistic justice dispensed by bureaucrats—these are the raw materials of agonistic social dramas through which conflict in society was expressed.

    How do medieval writings exploit the dramatic tension of a legal dispute? What social costs does jurisprudence impose and what social benefits does it confer in the minds of writers? What are the literary idioms used to express justice and corruption? How does literature represent captivity and outlawry, in turn commenting on social marginality and state power?

    Though we take for granted that Chaucer, Shakespeare, Dickens, and Kafka wrote legal fictions, this project reveals the much less known socio-legal concerns of medieval Japanese authors. In doing so, it expands the non-Western and pre-modern reach of the growing sub-discipline of “law and literature” studies and furthers cross-cultural conversation across areas separated by linguistic barriers.

    More broadly, I hope to spark historically-informed debate about Japanese legal consciousness. Observers of Japan’s recently instituted petit-quasi jury system (2009) have pointed to stereotypical cultural factors such as a conflict-averse society, respect for authority figures, and harmony-seeking collective consciousness as reasons for its low social penetration. My project quietly contests these views by showcasing the legal conflicts that loomed large for writers in the litigious world of medieval Japan.

中世文学に見られる法意識

    本研究は謡曲を中心に、中世文学の法意識を究明する。謡曲の中には犯罪を扱う作品、庄園や土地争いを扱う作品、人身売買を扱う作品など、中世社会の法制度を色鮮やかに反映しているものが多数ある。例えば、謡曲「鉢木」には土地を奪われて没落していた、日頃より忠節を誓う御家人が執権時頼に会い、その恩寵を受け、土地を返してもらう。この説話は裁判制度における「縁」の働きを強調する 。最近の法制史の研究は、このような法慣習や習俗による紛争解決の実態を取り上げている。筆者は法制史の成果を参考にしながら、文学作品に繰り広げられる法の世界を明らかにする。

    文学に見られる法制度の姿は近年Law and literature Studiesの分野で盛んに取り上げられている。例えば、シエイクスピア悲劇の「オセロ」における罪の法的解釈、チャールズ・ディケンズの『ピックウィック・ペイパース』における裁判制度への批判、ジェフリー・チョーサーの 『カンタベリー物語』に反映される中世の法慣習といったように、英文学における研究は着々と進んでいる。筆者は、欧米の研究では全く言及されていない日本文学における法意識を紹介することによって、Law and literature Studiesの議論を比較文学的な方向に発展させることを目指す。
    裁判は一種の社会劇で、共同体の紛争を社会儀礼によって克服する手段だと言えよう。その社会劇を能の舞台にのせることによって、 謡曲の作者は紛争と和解、 制度の社会的影響を描いていたと考えられる。また牢獄やアウトロー的人物を描く際、 当時の法慣習や権力行使のあり様も視野に入れていたはずである 。謡曲における法の諸相は1960年代の前田正治氏(1968)の小論文を除いて、あまり研究されてこなかった。しかし近年、笠松宏至氏(1983)や藤木久志氏(1987)による歴史社会学的なアプローチをきっかけに、 新たな視点に立った研究が見られるようになった 。
    例えば、「籠太鼓 」という謡曲を見てみよう。逃亡している夫の身代わりとして入牢させられたある女は狂気を起こす。 領主はこの女を牢から出してやろうとするが 、女は牢を夫の形見と見て、離れることを望まない。やがて領主は夫婦愛の熱さに心を打たれ、夫婦ともども赦免する 。坂井孝一氏(2000)が指摘しているように、領主の屋敷ではよく尋問・拷問などがおこなわれ、領主の館が暴力の場であったことをこの演目はよく 示している。申請者は坂井氏の研究をさらに進展させて、牢という権力の比喩を形見という愛情の比喩に置き換えることの文学的意味の可能性を考えたい。
    入牢者や囚人を扱う謡曲は「牢祇王」「牢尺八」「盛久」「春栄」「春近」「檀風」など幾つかある。これらの作品は英語に翻訳されていないものが多い。本研究のもう一つの目的は、翻訳を通して、番外能に多いこのような能の世界を海外で紹介することである。海外では夢幻能の華麗な意匠は知られているが、現在能の社会的・思想的背景をも把握する必要がある。したがって 、「 検断を扱った作品」という枠組みを視野に入れ、 中世の古文書に見られる検断の実態と照らし合わせながら、能で犯科人をとり上げることの文学的意義にも迫りたい。
    謡曲には土地争いの裁判が背景となっている夫婦離別の作品も多い。「砧」「鳥追船」「柏崎」「高砂」などはその例である。「高砂」を見てみよう。能楽研究家天野文雄氏 (2004)によれば、「高砂」の脇役阿蘇の神主は実在した人物をベースに書かれた。阿蘇大宮司職の正統性を確保するために両阿蘇氏が訴訟を起こし 、 応永30年頃に幕府が阿蘇惟郷の安堵を確認した出来事が「高砂」の背景にある。また、歴史学者脇田晴子氏が指摘している通り、これらの作品には、訴訟で夫が不在の間、女性が土地を管理していた社会背景が見られる。申請者は先行研究をより詳細に検証することによって、謡曲における家督や家族像の描写を検証し、その核になっているところを明らかにしたい。
    あわせて、 幕府の所領安堵や庶務沙汰を描いている作品「鉢木」「藤栄」「藤戸」も研究の対象にしたい。 能楽研究家山中玲子氏 (1999)や歴史学者本郷和人氏の研究(2008)で明らかなように、「鉢木」は北条時頼を「撫民」を標榜した名君として描き、御家人も主君と心を通わせ合える仲だとする。筆者は別の視点から、 「鉢木」は、中世の訴訟手続の一つである庭中を想定し、 口頭で訴える訴人とその言葉に耳を傾ける主君の理想像を再確認した劇だと考えたい。